34. 虹色の怨念2

 剣持萬蔵(けんもち まんぞう)に真意を打ち明け、一門を率いて夫・平国香(たいらの くにか) と娘・丹々(にに)の仇、平将門(たいらの まさかど)を討つ覚悟を決めた時のことを巳句羅 (みくら)は思い出していた。  東国の盟主となった将門に従う軍勢は万の大軍だ。復讐の念に燃えるとは言え、国香一門の生き 残り百名足らずで正面から向かっては、将門に近づくこともできない、それは巳句羅も萬蔵もわかって いた。あくまでも国香一門は壊滅し霧散していることを装い、目立たないように行動したうえで、 将門の警護が手薄の時を狙って奇襲を掛けるしかない。  巳句羅は瑠璃寺で尼僧の修行をしているために、昼間に萬蔵と接触できる機会は少なかった。巳句羅 の出自を知る住職・信尼(しんに)の特別の計らいによって、巳句羅は離れに一人部屋を与えられて いた。萬蔵は手下1名と共に深夜に瑠璃寺に忍び込み、その巳句羅の部屋に近づいた。手下を外に 残して見張らせ、萬蔵は中に入った。  部屋の中で立ったまま行燈の光に照らされた巳句羅は、部屋の隅に座った萬蔵に言った。 「萬蔵、私に弓の奥義を教えてくれ。」。 萬蔵は視線を板の床に落としたまま答えた、 「奥方様が弓など修行して何となさいます。」。 萬蔵の言葉に被せるように、静かに巳句羅は返した、 「この手で丹々の敵を討つのです。」。 萬蔵は身動きせず言葉を続けた、 「戦うのは我ら武士(もののふ)の役目。奥方様には頭として立っていただきたいのです。ましてや 女の弓で敵将を射ることなど、到底叶うものではありません。」。 巳句羅は萬蔵の前に座って言った、 「私に弓の奥義を教えてくれ。」。 萬蔵は顔を上げて答えた、 「奥方様に弓の修行など無理です。」。 立ち上がった巳句羅はゆっくりと部屋を歩きながら言った、 「夢を見たのだ。いつか話した鯉の話の通り、私が将門を射て、将門は果てるのだ。」。 萬蔵は短い息をついて言った、 「確かに、我ら無勢故に、取り巻きを打ち破って将門に近づき討ち取ることは至難。徒歩(かち)で 兵を攪乱し、馬に乗った将門を遠くから射るのが得策と考えられます。」。 萬蔵の方に向き直った巳句羅は言葉を重ねた、 「であろう。」 萬蔵は首を振りながら続けた、 「であっても、離れた所からの狙い撃ちです。今われら一党で弓の修練を積んでいる所です。」 萬蔵に近寄り、少し間を置いて巳句羅は言った、 「私が見た夢では、普通の矢で射るのではない。何か違ったもので射るのだ。それもかなりの遠方 からだ。私の気で射るのだ。」。 肩に手を乗せた巳句羅を避けるように改めて顔を伏せた萬蔵は、少し口調を強めて答えた、 「奥方様、夢の話はもう結構。我ら一党身命を賭して将門に挑みます。どうか・・」 「萬蔵、これはふざけているのではない、これは」 巳句羅がそこまで言ったとき、鳥の鳴き声のような甲高い音が途切れ途切れに二人の耳に入った。 誰かが離れに近づいてきたことを、外で見張る萬蔵の手下が知らせたのだ。連続した音でなく、 途切れ途切れの音は、至急退避すべき状況であることを表している。 「ご免、いずれまた」 そう言って立ち上がり行燈を吹き消した萬蔵は、素早く部屋から出て行った。  萬蔵以下国香一門の残党は、山奥で猟をして暮らしながら再戦の準備をしていた。この時代の 武士は、江戸時代のような専業の武士ではなく、一般の農民であった。武士が職業軍人のように専業 となったのは、織田信長が行った兵農分離政策以後のことだ。だから、平将門の時代には農民が自ら の安全を守るために武具を持ち、農作業の傍ら武芸を磨いている者もいて、領主の招集に応じて戦に 参戦するというのが民間で起こった戦闘軍団、すなわち武士の姿であった。生き残った国香一門は 田畑のある旧領には戻れないので、人里離れた山の中に身を隠し、猟で食料を調達するとともに、 獲物を農家に持ち込んで農産物や衣類などと交換することで、生活を繋いでいた。  バサバサっと音を当てて、頭を射抜かれた山鳥が木の葉にぶつかりながら落ちた。それを拾い上げた 常木永新(つねき えいしん)は、国香一門で萬蔵に次ぐ弓の名手だ。萬蔵も永新も村木又介(むらき  またすけ)の弟子だ。この日は3人で猟に来ており、山鳥を仕留めたのは又介だった。 「相変わらずお見事ですな。5羽目ですよ。」、 […]

33. 虹色の怨念1

 巳句羅(みくら)は瑠璃寺の奥で床に就いていた。 瑠璃寺は常陸国(ひたちのくに)の府中にある真言宗智山派の尼寺で、夫、平国香(たいらのくにか) と娘、丹々(にに)を亡くし僧籍に入った巳句羅が務める寺だ。  巳句羅の目はほとんど見えなかったが、目を閉じていても時折鮮明に蘇る光景があった。それは 平将門の顔であり、自分が凝視した将門の眉間を七色の矢が貫いて、血が噴き出る様だった。巳句羅 は脱力感をまとって床にいたが、目以外のどこにも怪我はなかった。鬼怒川の鯉の鱗を両目に入れ、 鱗を通した自らの視線で将門を撃ってからは気を失った。気づけばこの床にいた。瞼は開くが景色が ぼんやりと見えるばかりで、起き上がる気力もなかった。< p>  世話をしてくれる尼僧に依れば、自分を抱えてこの寺に戻したのは鎧に身を包み馬に乗った数名 の武者(もののふ)であった。そのただならぬ様子に警戒し、門内に尼僧兵団を配したうえで脇門 から応じたところ、武者は誰も名乗らなかったが全員が馬から降り丁寧な言葉使いで、奥方様を よろしく頼むと言い残して去って行ったとのことだ。自分のことを奥方様と呼ぶ武者とは、夫、平国香の 家臣、剣持萬蔵(けんもち まんぞう)とその一党であることが巳句羅にはわかった。平将門を討った とはいえ、将門を新皇と仰いでいた武州の反乱勢力は平国香の一門に追手を掛けるのが明らかである ことから、萬蔵以下国香一門の残党は早々に巳句羅を安全な尼寺に落として、方々に逃げ散ったに 違いない。< p>  平将門は死んだのか。将門はあなたに討たれる、鱗を通して見よ、将門の死が見える、鬼怒川 の銀色の鯉はかつて巳句羅にそう言った。そしてその鯉の鱗を入れた巳句羅の目は、将門が眉間 から血を吹き出す光景を見た。目を閉じれば何度でもその光景が浮かんだ。それでも巳句羅には それが現実だったかどうかわからなくなっていた。< p>  数日経ち、巳句羅は起き上がれるようになった。目を開けば光が眩しく、ぼんやりとしか見えな かったためにほとんど瞼を閉じたままにしていた。  瑠璃寺の住職、信尼(しんに)が、尼僧の燕尼(えんに)と共に巳句羅の部屋を訪れた。 「巳句羅、具合はどうだね」、 燕尼は廊下からそう声を掛け、ゆっくりと襖を開けた。部屋の真ん中に正座し廊下に背を向けていた 巳句羅は、その声を聴いて廊下の方に向き直った。 「お蔭様で落ち着いております」、 信尼と燕尼が巳句羅の前に座り終える辺りで口を開いた。 「目はまだ見えないのか」、 燕尼は心配そうに尋ねた。 「変わらずでございます。うっすらと明かりは感じますが、ほとんど見えません」、 顔を燕尼の方に向けて巳句羅はそう言った。 「医者もそなたの目が悪くなった理由はわからんと言った。いったい何があったのだ」、 信尼が尋ねた。 巳句羅は顔を左右に振り、心当たりがない素振りを示した。 「そなたは、夫君(おっとぎみ)の一門と共に行ったのか」、 そう尋ねる燕尼を信尼が視線で制した。 「信尼様、私のような者がこれ以上お世話になりお寺にご迷惑をおかけすることはできません。 どこか遠方の寺をご存じではないでしょうか。」、 巳句羅は顔を伏せてそう言った。 「その体でどこへ行こうというのだ。ここにおれ。」、 そう言う信尼の方を向いて燕尼は言った、 「信尼様、巳句羅をこのままにしておけばいずれ追手が嗅ぎつけますぞ」。 「巳句羅はずっと目が見えぬのだ。そんな巳句羅が何をしたというのだ。あの武者どもは道で見か けた盲目の尼僧をこの寺に送ってくれただけじゃ。何もはばかることはない。」、 信尼は巳句羅の方を向いてそう言った。 「しかし、将門殿を失った武州の侍は色めき立ってその下手人(げしゅにん)を探しておるはずです。 巳句羅の素性を知れば。」、 そう言う燕尼の顔を見据えて信尼は言った、 「たとえ素性を知ったとて、盲目の尼が武士(もののふ)相手に何ができると問うてやれ。将門殿が 討たれたこととは何の関係もないわい」。 巳句羅に顔を向けた信尼は加えた、 […]

14. 虹の矢

 夫と娘を失い、家を焼かれた毬は仏門に入って名を巳句羅(みくら)と改めた。  巳句羅は仏教の修行をしながら、夫・国香(くにか)と娘・丹々(にに)のことを思い出さない 日はなかった。生前の丹々から聞いていた銀色の鯉の話を、巳句羅はずっと他愛のない作り話と思って いた。丹々が自害した後で丹々の言葉を頼りに鬼怒川を探し回り、その鯉を見つけた巳句羅は、鯉から 聞いた。「国香は将門に討たれる」、これはその通りになった。  もう一つ、「将門はあなたに討たれる」、これはどういうことなのか。国香の軍勢は将門軍に打ち 破られ、反撃する力は残っていない。ましてや自分には、軍勢を指揮し将門と戦う器量など思いもよら ない。  しかし、それでも自分が将門を討つことができるものか。「鱗を通して将門を見よ、そうすれば 将門の死が見える」、この意味は分からなかった。しかし、自分が将門を討つ、その意思は静かに 巳句羅の心の中に定着していった。  壊滅した平国香の軍勢であったが、一命を取り留め、復讐の念に燃える武者はいた。その一人、 剣持萬蔵(けんもち まんぞう)は弓の名手であった。将門軍との一戦で左腕に重傷を負ってからは 弓を構えることができなくなっていたが、傷を癒しながら右手一本による剣術を鍛え、将門への報復を 画策していた。その萬蔵は、巳句羅のいる禅寺に密かに出入りし、国香の敵を討つべく一門の棟梁に なって欲しいと巳句羅を説得していた。  巳句羅は将門を討つ執念をその心に押し隠し、将門への報復は忘れて静かに隠れて生きるよう萬蔵を 宥めてきた。  ある日、巳句羅は萬蔵に弓の極意を尋ねた。もはや自分には弓を射ることがかなわないと萬蔵は 言った。巳句羅は重ねて、矢を命中させる極意はあるかと尋ねた。萬蔵はしばらく黙っていたが、 静かな鋭い眼光を巳句羅に向けて答えた、極意は念の集中にあると。  巳句羅は銀色の鯉の言葉を萬蔵に話した。萬蔵はその鋭い視線を巳句羅から虚空へとそらし、伝え 聞く弓術の奥義の伝説を話した。萬蔵もまだ見たこともないその奥義とは、矢の届かない彼方の的を 射るというものであった。その鍛錬方法が全く伝わっていないことから、萬蔵にとっても手の届かない 奥義であった。ただ奥義書に依れば、それを究める者は虹色の眼光を放つとされていた。  虹色の眼光と聞き、巳句羅は袱紗を取り出した。その中に挟んであった、数枚の鯉の鱗を見た。 虹色に光るその鱗は、巳句羅が最後に鯉と話したときに鯉の頭から取り上げたものであった。その鱗を 指に挟み、透かして見ようとした巳句羅を萬蔵は止めた。奥義書には、七色の光は命の光であると書か れていたからである。  将門追討の執念を明かした巳句羅は萬蔵の申し出を受け入れ、萬蔵に一門の招集を命じた。  それからおよそ8カ月の後、将門は馬に乗り、二十騎の武者と三百人の徒歩と共に鬼怒川沿いの土手 を北上していた。丹々が自害した浜に参るためであった。  この将門を、国香一門、45名の武者が襲った。将門を取り巻く騎馬武者は動かず、取り巻きの歩兵 がこの45人を迎え撃った。この2年余り、鍛えに鍛えた国香一門の武者は多勢を相手に奮闘した。 しかし徐々に疲れ、一人二人と討たれ始め、その半数が倒れたと思われたその時、鬼怒川対岸の林 から、7名の武者が姿を現した。その中に、黒い頭巾をかぶった尼姿の巳句羅がいた。敵味方の奮闘を 馬上から見守る将門は、対岸の尼を見た。 二百間(200けん、およそ360m)離れたその尼を 見た将門は、それが亡き国香の妻女・毬と気づき、目をそらさなかった。  岸に立ち、遠くに騎馬武者と共にいる馬上の将門を見据えた巳句羅は何も持たず、左手を将門に 向かって伸ばし弓を構える形をした。右手人差し指と中指には、虹色の鱗がついていた。将門を凝視し ながらその鱗を両目にあてたとき、巳句羅の頭に激痛が走った。倒れそうになる体を萬蔵に支えられ ながら、遠のく意識の中で国香と丹々の顔が浮かんだ。巳句羅は意識を取り戻し、再び弓構えで鱗越し に将門を凝視した。  胡麻粒ほどだった二百間先の将門の顔が巳句羅の眼前に迫った。その瞬間、巳句羅の両眼から 虹色の光が発せられ、将門の眉間に突き刺さった。巳句羅はその場に倒れた。  将門は突然落馬しその眉間には三角の穴が開いていた、それが将門を取り巻いていた武者の言葉で あった。将門の死を知った騎馬武者も徒歩も蜘蛛の子を散らすように散逸し、将門の遺体は国香一門に よって取り上げられ、首実検のために京都に送られた。  砂浜に倒れ込んだ巳句羅を抱きかかえ、萬蔵以下七人の武者は林の中に消えた。巳句羅の顔には 黒い涙が流れていたが、萬蔵以外その意味を知る者はいなかった。林を抜け、巳句羅を馬に乗せた萬蔵 は、巳句羅の胸元から紫の袱紗を取った。その中に、まだ虹色の鱗が残されていることを萬蔵は知って いた。

13. 武者を睨みつける鱗

 巳句羅(みくら)は立ち上がって対岸の馬上にいる武将を見た。憎しみを込めてその武将の顔に 視線を止めた次の瞬間、武将は額から血を噴いて落馬した。気を失って砂浜に倒れ込んだ巳句羅を覆い 隠すように抱えた武者達は、足早にその川岸を去って森へと姿を隠した。  940年に平将門(たいらのまさかど)は眉間に矢を受けて死んだ。950年前後に完成された とされる武州新皇妙撰紀(ぶしゅうしんのうみょうぜんぎ)には、馬上にあった将門は対岸の敵軍から 飛来した矢によって討たれたと書かれている。しかし将門は矢で射られて絶命したのではない、突然 頭から血を流して落馬し、息絶えた。周囲の者が見た将門の眉間には、三角の穴が開いていた。その 直後に将門の亡骸は敵軍に取り上げられ、首実検に処された。  三角の穴のことを伝え聞いた将門の側室・澄(すみ)は、将門は矢で射られたと禅僧・瑞信(ずい しん)に伝え、後年の武州新皇妙撰紀への記述となったのである。しかし澄は知っていた。その三角の 傷は得物(武器)によってつけられたものではない、将門を憎む人の心によって空けられたものである ことを。そしてその将門を憎む者の心当たりもついていた。巳句羅という尼である。  巳句羅には娘がいた。僧門に入る前に生んだ娘である。娘の名は丹々(にに)と言った。丹々は、 常陸国筑波山西麓真壁郡の武将である平国香(たいらのくにか)と正室・毬(まり)との間に生まれ た。丹々は美しく育ち、近隣諸国から正室にと求められる姫となった。丹々は山野に良く出かけ、村 の若者と遊んだ。そんな丹々には秘密の場所があった。鬼怒川の淀みの一角である。  そこには銀色の鯉がいて、丹々はその鯉と話しができた。その鯉はこれから起こることをたびたび 丹々に話して聞かせた。竜巻や川の氾濫、戦や一揆、近しい者の死など、この銀色の鯉が言うことは 必ず訪れた。そんなある日、銀色の鯉は丹々に伝えた。近いうちにある武者とまみえるが、その者の 目を直視してはいけないと。丹々が理由を尋ねると、好ましからざる人物であると鯉は答えた。  それから数日後、平家を数人の武士が訪れた。当主・国香は丁重に迎えていた。宴席となった時、 毬と丹々は挨拶に出た。その時、上座にいた武士の眼光を感じ、丹々は思わず顔を上げた。その武士は 平将門であった。将門は丹々の美しさと振る舞いの優雅さを褒めた。  それ以来丹々は、将門のことが頭から離れなくなった。銀の鯉が語った好ましからざる人物とはこの 将門のことではない、丹々はそう自分に言い聞かせた。 程なく将門は正式に丹々との婚儀を国香に申し入れ、婚約は直ぐに整った。  将門家に嫁ぐ日も近いある日、丹々は鬼怒川の銀の鯉に会いに行った。鯉は言った、将門は国香 を討つと。丹々はそれを信じなかった。将門が自分を妻に迎えながら、その父を討って国を取るなど あり得ないと。それからは、丹々は鬼怒川を訪ねなくなった。  丹々は将門に嫁入りし、平穏な日々を過ごした。しかし嫁入りから2年余り経った夏、将門は東国 武士団の棟梁と担がれ、新皇(しんのう)を名乗り、京の朝廷との決別を宣言した。  逆賊・平将門を討て、宣旨による討伐指令が平国香に下された。丹々は反逆を止め、父・国香に 降伏するよう将門に頼んだ。一方忍びで父・国香の元を訪れ、降伏すれば反乱者の命を保証するよう 頼んだ。しかし両者とも退く気を示さなかった。絶望した丹々は自害して果てた。  毬は将門を憎んだ。将門は反乱者であり、正義は宣旨を持つ国香にある、そう信じて疑わな かった。自害する前の丹々から聞いていた銀色の鯉に会いに、毬は鬼怒川へ出かけた。  鯉は毬に語った、国香は将門に討たれる、そして将門はあなたに討たれると。自分の鱗を通し て将門を見よ、そうすれば将門の死が見えると。