32. 霊気を吸い込む孫の手2

 神戸海軍操練所の前を朝5時過ぎに出発して馬を走らせ、岩屋の海岸線で歩を緩めてしばらく話した 後は、街中を通ることが多く、勝芳安の指令について話す機会がなかった。中国街道を通って武庫川 大橋に着いた時には太陽は高く上がっていた。二人は橋の袂から武庫川河畔に降りた。馬に水を飲ま せ、草を食わせて休ませた。  川原に人影がないことを確かめて、樺丘は紗奈妓(さなぎ)に尋ねた、 「結局お前は何者なんだ。」 紗奈妓は明るい笑顔で、思い出したように話し始めた 「勝様がな、孫の手を気にして、何か使えんかと考えられたんじゃな。誰かええもんがおらんかと考え とるうちに、うちらのような者のことを知りなさって探させたんじゃ。そしたら」 「だから、そのお前らは何者なんだ」、 樺丘は口を挟んだ。 「じゃから化幻玄師の出番なんよ」、 ずっと樺山の顔を見て話していた紗奈妓は、橋の上や土手を見廻し、周囲を警戒してから樺丘の顔に 視線を戻した。 「そのけげしってのを俺は聞いたことがない」、 樺丘は眉根を寄せた顔を紗奈妓に向けて言った。 紗奈妓は慣れた様子で言葉を重ねた、 「世の中にはよ、たまに出くわすけど思い通りには操れん不思議なことがあるじゃろ、化幻玄師はそう いうことを調べて人の世の役に立てるお役目を務めとるんよ。」 ピンとこない樺丘の顔を見てさらににこにこしながら紗奈妓は続けた、 「例えばじゃ、人魂は墓所で燃えとるじゃろ、あれをいつでも自由に起せるようにできたら火打石は 要らんようになるし、寒い時には薪を燃やさんでもなんぼでも暖こうできるじゃろ、そういうことを 探すんよ、それが化幻玄師じゃ、面白いじゃろう。」 胡散臭さを感じた樺丘が硬い表情で言葉を重ねた、 「それでお前は誰に仕えとるんだ。」 「心配せんでもうちらは勝様の敵方じゃないよ、勝様もそれを確かめるのにけっこう時間がかかったん じゃろう」、 変わらずにこにこしながら紗奈妓は答えた。確かにそこに抜かりがある勝様じゃないな、そう考えた 樺丘は表情を緩めて続けた、 「それであの孫の手にどういう使い道があるんだ。」 さらに笑顔で紗奈妓は答えた、 「そりゃ実物を見てみにゃいけんが、その孫の手は雷みたいな光るものを捕まえるんじゃろう、面白 そうじゃんか。」  2人は時々馬を休ませながらひた走り、夕暮れに近づいた午後5時過ぎには大阪府岡中村に着いて いた。岡中村は紀州街道沿いの小さな宿場町で、近畿と和歌山との中間点として利用する者が多かった ために、8件ほどある旅館は江戸時代から繁盛していた。紗奈妓もこの一円を旅するときにはこの村の 旅館を度々利用したので、馴染の旅館がいくつかあった。  この日は、紗奈妓の勧めで信達屋(しんだちや)という旅館に泊まろうと、暖簾をくぐった。二人に 対して手代は、部屋の空きがないと不愛想な返事をした。一部屋でいいから何とかならないかと頼み 込む紗奈妓に、手代の返事は冷たかった。紗奈妓は番頭さんを呼んで欲しいと伝えたが、番頭は出掛け ているというオウム返しの回答が来た。不思議に思った紗奈妓は声を張った、 「番頭さーん、おらんかのう、増岡さーん」 「おーい」、 という野太い声と共に奥の引き戸が開いて白髪の小柄な男が現れて言った、 「おう、なんや紗奈妓はんやないか」。 合掌しながら例によって笑顔で紗奈妓は続けた、 「今夜泊まりたいんじゃけど何とかならんかね」 手代の顔に目を移した増岡は言った、 「亀やん、部屋は空いてないんか」。 手代は目を伏せて小声で答えた 「へえ、今日はちょっと」 玄関の机の上にある台帳を手に取った増岡は、指を舐めながら数枚のページをめくり目を細めながら 部屋の空き状況を調べた。 「6番が空いてるがな、ここを使こうてもらえ、ほら支度させてこい、ええから」 そう言った増岡は、台帳を手代に手渡して肩を押した。 […]

31. 霊気を吸い込む孫の手1

 和歌山県和歌山市加太(かだ)にある淡志摩神社(あわしまじんじゃ)を訪れ、宮司、佐伯太郎 右衛門達時(さいき たろうえもん たつとき)に孫の手の借りだしを頼んだのは、海軍省砲術二佐 の樺丘仁介(かばおか じんすけ)だった。  樺丘は10か月前にもこの神社を勝芳安(かつ よしやす)と共に訪れていた。淡志摩神社に 伝わる孫の手は雷を呼ぶという言い伝えがあり、勝はそれを確かめに来たのだった。もしも自在に雷 を操れるのなら、それを外国と戦う兵器として応用することを考えていたのだった。その時は、勝が 宮司に頼み込んだ末に孫の手を借り受け、浦山の頂で空にかざして試したところ、確かに雷が孫の手を 直撃した。だがその後で、あれは雷ではない武器にはならんと坂本も言っていた、そう勝は呟いて、 孫の手を宮司に返して神戸に戻った。樺丘は、あの孫の手を兵器にすることはできんという勝の言葉を 直接聞いていた。  樺丘には不思議なことだらけだった。淡志摩神社の浦山で勝が両手に一本ずつ持って空にかざした 孫の手に確かに雷が落ち、しかもしばらくの間、まるで光の竜がその孫の手に喰いついているように 空中にのたくっていた。そしてその光の竜に向かって勝は嬉しそうな表情で話し掛けているように見え た。坂本、勝は何度かそう呼びかけていた。さらに不思議だったのは、孫の手に雷が落ちる時にも、 雷鳴が全くしなかったことだった。静かな黒い空に、ひたすら光の竜がのたくっていたのだった。 樺丘は神戸への帰路の馬車の中で、あれは何だったのか勝に尋ねた。勝は多くを語らなかったが、 あれは天から降りてきた霊気であり、坂本だったと言った。そして樺丘にとって最も不思議だったの は、勝の諦めの早さだった。普段の勝なら、そう簡単には諦めずあの手この手を考え、周囲にも考え ろと命じるはずだ。しかも多忙な折にわざわざ和歌山まで出向いて行ったことなのに、その諦めぶり が勝らしくないと樺山には映った。坂本も言っていた、これも何のことかわからなかった。  その後の数か月間というもの、樺丘は海軍がフランスから購入して神戸海軍操練所に持ち込んだ新式 の大砲を使った訓練に明け暮れた。  訓練を終えたある日の夕刻、樺丘は勝の執務室すなわち操練所所長室に呼ばれた。 「樺丘です。」 そう叫んで訓練用の軍服のまま樺丘が所長室に入ると、勝の机の前に袴姿で短髪の長身が立っていた。 椅子に座って背中を見せている勝に一礼した樺丘は、改めてその長身の顔に目をやり、それが女である ことに気付いた。 「仁介、この人を連れて和歌山の淡志摩神社に行け、孫の手を見せてやってくれ」、 勝は立ち上がりながらかなりの大声でそう言って振り向き、樺丘の顔を見た。勝が声を張りはっきりと しゃべる時は、その言葉が命令である時だ。 「この人は。」、 当然の樺丘の質問だった。 「この人はな、あれを使えるかも知れん、詳しいことはこの人から聞いてくれ、馬車は貸せんから馬で 行け、いいな。」、 勝が言い終わるよりも早くその女は歩き始めた。 「行くで。」、 樺丘に笑顔で一瞥を向けてそう言った女は部屋から出て行った。 「所長。」、 そう言って顔を見る樺丘に勝は、女を追え、そういう手振りをした。 あっけにとられて、砲術の訓練をどうするか尋ねる樺山に、 「わしから砲兵長に言っておく。」、 ため息交じりにそう言った勝は椅子に腰を落とした。 「ご免。」、 そう言って所長室を飛び出した樺丘は、廊下を早足で歩くその女に追いついて背中越しに話し掛けた、 「お前は何者だ、勝様はなにを。」 その声に被せて、 「化幻玄師(けげげんし)、紗奈妓(さなぎ)」、 と女は微笑みながら足を止めずに答えた。前に回り込んで聞き返す樺丘の眼を見た女は、歩を止めて 一層微笑みながら言った、 「うちの名前は紗、奈、妓じゃ、早う馬を見せてくれ。」、 紗奈妓は厩舎に向かっているのだった。 40頭近くいる馬をしばらくの間眺めて歩いた紗奈妓は、ある馬の前にとまってにこにこしながら樺丘を 手招きした。 「この馬を借りるけん、鞍を付けて、明日卯の刻、つまり5時じゃね、門の前に出とってくれ樺丘殿、 勝様の命令は道々話すけん。」、 […]

12. 霊気と話す雷

   淡志摩神社に置かれている一対の孫の手。この孫の手で雷を掴む姿を見た宮司・佐伯篤左衛門義忠 (さいき とくざえもん よしただ)は日記に詳しいことを書き残さなかった。孫の手を受け継いだ 後代の宮司は、それを残した橘正雪が由比民部之助橘正雪(ゆい かきべのすけ たちばなの  しょうせつ)であったことを知った。慶安4年(1651年)に発生した慶安事件、すなわち幕府への反乱 の首謀者であり、翌年自刃した者であった。僅かに義忠の日記に書かれている橘の言葉、「あれは雷 ではなく、忠弥の霊気である。」の忠弥とは、慶安事件の共謀者、丸橋忠弥に違いないと考えら れた。  忠弥の霊気である、それが何を意味するか義忠は日記にも書き残していない。義忠が橘と共に裏山に 登った時には、丸橋忠弥は既に打ち取られてこの世にいなかったはずであることから、橘は雷によって 丸橋の魂と話し、その死、そして事件を起こした同朋の壊滅を知ったからこそ、この神社を出て駿河に 戻り、自害したのであろうと語り伝えられていた。  宮司後代の言い伝えは次第に変節し風聞となり、孫の手が雷を呼んだ、孫の手が雷を発した、 由比正雪がこの孫の手で江戸城を爆破したらしい、など孫の手の威力が伝説と化した。それと同時に、 そんな威力があるはずもない、単なるおとぎ話だと考えられるに至った。  この孫の手の威力をどこからともなく聞きつけて、戦闘に利用しようと考えたのが勝安芳(かつ やすよし)であった。勝はこの孫の手だけでなく、巷の妖しい伝説や風聞を集めさせ、明治政府軍の 武器となり得そうな力に当たりをつけると、その真偽を確かめるべく奔走していた。  巷の伝説など当てにならないと嗤う者が多かったが、「日本に鉄砲や蒸気船が来た時も、自分の 目でそれを見るまでは、最初は誰も信じられないものであった。何事も己の浅い見識から決めてかか らず思い込まず、実物を見聞して確かめろ。」、それが勝の信条であった。  勝の申し出を聞いた宮司、佐伯太郎右衛門達時(さいき たろうえもん たつとき)は孫の手 のことが記述されている義忠の日記を勝に見せ、代々の伝聞も話した。実は橘以来、誰もその孫の手 で雷を呼ぼうとした者はなく、むしろ恐れられて本殿の奥に安置されたままであった。  勝はその孫の手を使ってみたいと達時に頼んだ。遠まわしに断っていた達時も、勝の実直な人柄と 真摯な態度に折れ、ついに孫の手を本殿から持ち出した。  生成りの布に巻かれた2本の棒を携えた達時は、境内に待たせた勝に恐る恐るそれを手渡し、 その身を引いた。  勝は布に巻かれたままの孫の手を持って、部下2名と共に裏山に登った。  それからしばらくして境内で待つ達時に、裏山に突き刺さる稲妻が見えた。達時はその時の様子を 日記に書き残している。  「勝様が裏山に登って半時後、確かに空は暗転し、裏山に雷が落ちた。ただし、凄まじい雷光と は裏腹に、雷につきもののあの爆音はなかった。程なく勝様は降りてこられ、布に包んだ孫の手を私に お返しになった。もはやご無用かと尋ねると勝様はこう言った。これは使うなと坂本が言った、これは 武器ではないと。付いていた2名の者はいずれも驚愕した表情をしていたが、口を固く結んで何も語ら なかった。」  その10か月後、勝が用いなかったこの孫の手を求めて淡志摩神社を訪れた者がいた。それは、 勝に同行して裏山に登った部下の一人、そしてもう一人、化幻玄師(けげげんし)を名乗る男で あった。

11. 雷を掴む孫の手

 和歌山県和歌山市加太にある淡志摩神社(あわしまじんじゃ)には、およそ25000体の人形 が奉納されており、人形の宮と呼ばれている。この淡志摩神社の人形に紛れて、一対の孫の手が置か れていることはあまり知られていない。この神社の宮司には代々、この孫の手の奇妙な力が言い伝えら れている。この孫の手は、雷を掴むというのである。  昭和に入って科学の進歩が民間にも科学的知識の浸透をもたらしたことで、森羅万象が科学的な 現象として語られることが多くなった。そういう時代の変遷に伴って淡志摩神社の宮司も総代も、孫の 手が雷を掴むという言い伝えを迷信と考えて疑うことなくない、思い出すことも希になってきている。 しかしこの神社に伝わる宮司の日記には、かつてこの孫の手で雷を掴んだことが記述されているので ある。  慶安4年(1651年)8月11日から数日に掛けての日記に、時の宮司・佐伯篤左衛門義忠(さい きとくざえもんよしただ)はこう書いている。 「伊勢の国より旅人が来た。橘正雪(たちばなまさゆき)と名乗り、しばらく逗留を希望した。橘殿 は体のいたるところに傷を負い、逃亡中の様子であった。詳しいいきさつを問わず、橘殿を泊める。 離れの部屋に置いて食事と衣服を与え、道助(みちすけ)に世話をさせる。」 「道助によれば、橘殿の傷は切り傷や穴であり、刀や鉄砲によるものであろうと。大坂夏の陣から 36年も経て戦乱の世は過去のことであり、鉄砲による戦闘が容易にあるはずがない。」 「追手は御上か公儀かもしれない。しかし、橘殿の澄んだ目と堂々とした立ち居振る舞いを見れば、 悪人とは思えない。」 「傷もほどほどに癒えた晴天のある日、橘殿が裏山に登るというので付き添った。頂に着くと橘殿 は棒のようなものを二本取出し、空に向けて振り上げ交差させた。見れば、孫の手のような棒で あった。その刹那、俄かに天空が雲に覆われ辺りは暗闇と化したかと思うと、目が眩むほどの稲光が 橘殿を直撃した。その雷を、橘殿は二本の孫の手で掴んだ。しばらくの間、五つ数えるほどの間か、 雷を捉えたまま直立していた。その様子はまるで、激しく暴れる光の蛇の尾を捕まえているようで あった。橘殿は雷を放し、雷は宙に消えた。空は再び、晴天に戻った。不思議極まることであった。」 「裏山を降りた橘殿は、自分に二本の孫の手を預け、どこへともなく姿を消した。」 「橘殿は言い残した。あれは雷ではない。わが友、忠弥の霊気であると。」  橘正雪と孫の手に関する義忠の記述はこれで終わっており、佐伯篤左衛門義忠の日記には出て こないが、橘正行は淡志摩神社を去った六日後に駿河国(するがのくに)において自刃した。 この橘正行は由比民部之助橘正雪(ゆいかきべのすけたちばなのしょうせつ)であったことを、義忠が 知ったか否かはわからない。   慶応4年(1868年)1月2日、時の宮司・佐伯太郎右衛門達時(さいきたろうえもん たつとき) の日記に、雷を呼ぶ孫の手を探して訪ね人があったと記されている。日記に依れば、訪ね人の名は 勝安芳(かつ やすよし)、雷を操る孫の手の秘密を研究し、英国と戦う武器にしたいとの申し出 であった。