26. 妖花を悪用する者2
古くて参拝する人のいない祠(ほこら)の中で、あぐらを組んで瞑想している者がいた。修験者
の服装をしたその男は目を閉じていたが、鉄砲隊の行列を空から見下ろす風景が見えていた。その男
はカラスの目を通して、岡山藩鉄砲方頭・小野沢完武(おのざわ かんむ)を見張っていた。
男の名は素呂門(そろもん)、動物を操り、離れたところにいて動物の感覚を自身が感じ取る
ことのできる術、琥韻の術(こいんのじゅつ)を使うことができる。素呂門は琥韻の術を掛けた一羽の
カラスを完武の周囲に付け、その動きを見張らせていた。
素呂門は風者(かざもの)である。つまり、情報を集めて売ることで生きているいわばフリーラ
ンスのスパイだ。風者は特定の主を持たず、依頼によってあらゆる裏情報の調査・収集を請け負う。
あるいは、時勢を読み特別な情報を集めたうえで、敵対する複数勢力に測って高値を付ける側に売る
こともある。特定の主を持たないことで、時の勢力の趨勢に合わせて自身の加担先を決めて生き残る
ことができる。風者の情報によって敗北を喫したり劣勢に立たされたりした側から恨みを買うことは
多い。それゆえに、風者はその存在をあからさまにせず、情報の買主や依頼者の前にさえ姿を曝すこと
はほとんどない。情報の買主がいつ敵対する関係になるかわからないからだ。
風者は顧客と情報を求めて諸国を放浪している。一か所に留まれば正体を知られる可能性が高まる
からだ。風者は全国各地に幾人もいるがお互いにほとんど交流を持たない。風者に統一された組織や
人脈や掟があるわけではないが、風者の間で顧客の奪い合いをしないのが暗黙の了解だ。とは言え、
異なる依頼者からの要望で同じ情報を求めて偶然に風者同士が対峙することはある。そういう場合の
お互いの依頼者は敵対関係にあることが多いので、風者同士の情報争奪戦はお互いの秘術の応酬にな
り、戦闘になることもある。
素呂門は旅をする中で、豊臣家の五大老・宇喜多秀家(うきた ひでいえ)が治める岡山藩に内紛
の気配があることを嗅ぎ取り、岡山藩城下に潜入して様子を探っていた。特定のあてがなく広く様子を
窺うときに、素呂門はまず不穏な気配を持った人を探す。不穏な気配とは、後ろめたい感情や殺意を抱
いている場合に発せられることが多い。いくら平静を装っていても、人の行動や体の状態には微かな
不自然さが出る。つまりそういう者は、何らかの事件や索敵行動に関っている可能性が高く、素呂門の
商売相手になり得るということだ。
不穏な気配を持った人を探すとき、素呂門は犬とカラスを用いる。犬とカラスは知能が高く、人間の
色々な気持ちを察知する能力に長けているからだ。琥韻の術を掛けた犬とカラスを岡山藩城下に放ち、
町中をひたすら歩き回らせて、不穏な気配を持った人を探す。そしてその者に近づき、その行動や言動
を犬とカラスの感覚を通して観察するのだ。
素呂門は、琥韻の術を掛けた犬とカラスを2匹ずつ岡山城下に放っていた。術を掛けた動物の目と耳
を通じて観察と聴取をするときは、素呂門自身は建物の中や草むらに身を潜め、目を閉じ耳を澄まし、
意識を動物の感覚に集中した。そういう偵察を数日続けた結果、犬の一匹が怪しい男を察知し、後をつ
けたところ身なりの良い武士に辿りついた。犬の耳を通じて聞いたその武士のの話し声から、桜を探
していることが分かったが、たかが桜をなぜ人を使ってまで探しているのかはわからなかった。とは
言え、武家が秘密裏に探す桜には何かの事情があるはずと考え、犬とカラスを一匹ずつその武士に付
け、そこに集中した。その武士が完武であること、そして完武が会っている複数の男や女たちが完武
の子飼いの密偵であることは直ぐにわかった。完武の身分が藩鉄砲方の頭という高い地位であること桜
から、この探しにはただならぬ背景がある、素呂門はその見込みに自信を得た。
完武は用心深い男だ。石桜を探させている密偵との会話でも、石桜という言葉は滅多に使わず例の
物やあれといった代名詞でしか表現しなかった。またその目的については密偵にさえも一切気取られな
いようにしていた。数日に掛けて完武や密偵に犬やカラスを張り付けていた素呂門にも、桜の意味と
完武の目的は見えてこなかった。
そんなある日、完武に付けた犬が臨済宗亀恒院(きっこういん)の床下に入り込み、住職の尊知
(そんち)と完武が話す声によって桜探しの目的を察した。完武が述べた言葉、白い彼岸花。実物の
彼岸花は赤い、鮮やかな赤色である。曼珠沙華とも呼ばれる彼岸花は三途の川のほとり、つまりあの世
とこの世の境目にも咲くと言われている。そしてこの花を三途の川の向こう岸、すなわちあの世側から
見ると白く見えるとも言われている。白い彼岸花を届けたい、これは誰かを亡き者にすることを示して
いるに違いない。つまり完武は誰かを暗殺する計画を立てている、素呂門はそう確信した。そして、
完武がこれほど慎重にその暗殺計画を立てる相手とは、かなりの大物であるはずだ。完武自信と同等
以上の地位にあって、完武の主君、宇喜多秀家に刃向う一派と言えば、国家老・堀之内幸嗣(ほりの
うち ゆきつぐ)、あるいはそれに連なる者どもに違いない。あるいは、岡山藩内ではなく、宇喜多
秀家と覇権を争う他の五大老の一人、徳川家康の重鎮か。素呂門はそう読んだ。
それにしても、完武の探す桜の意味が素呂門にはわからなかった。暗殺を目論む者がなぜ桜を探して
いるのか。桜とは何かの名前なのか暗号なのか、あるいは暗殺計画と桜とは関係がないのか。
素呂門は、カラスを使って完武本人と接触し、探し物について探りを入れた。完武は用心深く、ヒン
トになるようなことは何も口にしなかった。
完武の方はしらばくカラスに見張らせておき、素呂門は別のカラスと犬を通して密偵に方に意識を
向けた。以前完武と会っていた密偵の男一人に犬を張り付けておいた。数日に渡ってその密偵は単に露
天商をしているだけに見えたが、ある日浪人風の男がその露天商とのすれ違いざまにこぼした言葉が
カラスを通じて素呂門の耳に届いた。石桜は木目川(きめがわ)沿いらしい、その浪人は言った。その
浪人もまた完武の密偵であり、その言葉は完武への伝言であろう。素呂門は完武の探す桜が石桜と呼ば
れていることを初めて知った。素呂門は密偵の露天商に付けていたカラスをその浪人に向けた。
見張っている浪人が城下を出て農村に向かう間は、素呂門のカラスは空の高い位置から遠巻きにその
浪人を眺めていた。浪人がある寺の門をくぐり、本堂に入っていったのを見たカラスは本堂近くの木の
枝に降りた。しばらくして本堂では、その浪人と僧侶が書物を見ながら会話をしていた。カラスは木
の枝から本堂脇の廊下に飛び移った。精眼(せいげん)は石桜を見つけたらしいが・・・、という話し
声がカラスを通して素呂門の耳に入ったその時、カラスの視界が途切れ、素呂門の頭に激痛が走った。
そのカラスが命を絶たれたのだ。