23. 酒と鬼を探す男1
1910年の4月、武良喜太郎(ぶら きたろう)は紫の酒、鶴翔(つるはね)が湧くと言われる
旭川(あさひがわ)にやってきた。
ポイントは建部村八幡(たけべむらやわた)温泉付近の旭川河畔である。国鉄津山線に乗って
岡山県御津郡建部村福渡駅(みつぐん たけべむら ふくわたりえき)で降り、そこから歩いて
20分ほどの距離だ。喜太郎は駅からの道すがら、周辺に住む人々に話を聞いて鶴翔のことを確か
めようとしたが、鶴翔や酒鬼のことになると急に口が重くなった。
喜太郎は鶴翔のことを、京都の薬面寺住職から聞いた。薬面寺に伝わる代々住職の手記に、
100年以上前の幻の酒のことが書かれているとの話であった。その酒は岡山藩が皇室に献上して
いた酒であり、昔の住職が薬師院大僧正の共をして帝(みかど、天皇陛下)に拝謁した折に相伴に
あずかったことがあった。美しい紫色の酒であったようで、それから数年してその献上酒は途絶え
たが、それを造っていた杜氏(とうじ)が酒鬼となって造り続けたという言い伝えがあったそうだ。
その話を聞いた喜太郎は、その代々住職の手記を読ませて欲しいと当時の住職に頼んだが、これは
僧坊以外の人には見せられないと断られた。そこで喜太郎はその住職に頼み込み、鶴翔にかかわる
部分を読んで聞かせてもらった。その内容から、旭川湖に沈んでしまった岡山藩旧鶴田村にいた杜氏、
佐知助がその酒鬼になって鶴翔を造っていたと喜太郎は確信して、旭川にやってきたのである。
喜太郎は化幻玄師(けげげんし)である。これは妖怪、怪現象、特殊能力など、一般の常識となっ
ておらず一部に信じられていたり言い伝えとなっている不可思議な事柄を調査し、その現象や力を人
の世の役に立てる任務を負った一族である。
化幻玄師の源流は500年代の後半にいた馬斑柿比良(うまむらのかきひら)である。累代に渡っ
て朝廷の大臣(おおおみ)を務めた蘇我氏に仕え、物部氏をはじめとした政敵と戦うための諜報
活動や工作を取り仕切ったのが馬斑氏であり、その中でも柿比良はずば抜けた能力を発揮して物部氏
を滅亡に追い込んだ立役者であった。柿比良が得意としたのは諜報と戦闘の指揮であり、自らの
肉弾戦には弱かった。物部氏を滅ぼしたその高い能力を厩戸皇子(うまやどおうじ、聖徳太子の生前
の名前)に認められて、柿比良は皇子から直接の任務を命じられた。それは仏教の調査であった。
500年代前半の日本に伝えられた仏教は、数十年を経てもまだ日本に定着してはいなかった。
当時の自然災害や伝染病や事故は、怨霊の祟りによってもたらされると信じられていた。仏教におけ
る仏や仏具はそうした怨霊を沈める力を持つ一種の科学技術とされ、その力を活用しようとする勢力
が朝廷に仏教を取り入れようとした。蘇我氏は仏教を使う立場をとり、仏教を怪しい力として排斥しよ
うとする物部氏と激しく対立した。この時は仏教が政争に利用されたのであるが、厩戸皇子は政争の
道具としてではなく、純粋に怨霊封じの科学としての仏教を見極めようとした。その調査命令が柿比良
に下されたのである。
柿比良は様々な経典や仏像を調べ、仏教が怨霊の鎮魂に極めて有力であると結論を出した。それに
よって厩戸皇子は17条の憲法の第二条に「篤く三法を敬え」(仏教を手厚く信仰するように)と定
めるに至った。それ以来、馬斑氏は諜報活動の担い手としてではなく、不可思議な現象や力、つまり
それこそが当時の最新科学技術であって、それを調査して世のために活用する役割を生業とし、以後
代々に渡って受け継がれてきた。その子孫は不可思議な事柄を感じ取る独特の能力を持つに至り、いつ
のころからか自らを化幻玄師と称した。中央の政権に仕えたり、地方の領主の保護を受けたり、商人
の支援を受けるなどその立場は多様となり、時代を経て分派もした。政争に与した諜報活動や破壊工作
を生業とする忍びとは一線を画していたが、忍びや官憲に追われることもあった。その末裔の一人が、
武良喜太郎である。
旭川を渡ってくる風の匂いを気にしながら喜太郎が土手を歩いて八幡温泉近くに着いたのは、夕暮
れ近くであった。満開の桜が夕日に映えて、川面は夕焼けで橙色に染まっていた。夕陽を背にして感覚
を研ぎ澄ましてみたが、妖怪の気配も酒の匂いも、喜太郎には感じられなかった。
日の出前に出なおした喜太郎は、水際にたたずみ川面に感覚を集中していた。空が白んで山際が薄く
橙色に染まってきたその時、喜太郎は全身に微かな妖気を感じた。薄明るい川面が紫色に変わった。
喜太郎は川面と周囲に交互に注意を向けたが、妖気の主は水の中に感じられた。その妖気が攻撃的な
ものでないと断定した喜太郎は、その紫の川に飛び込んだ。紫の川の水は、その味も匂いも確かに酒
であった。と思った次の瞬間、単なる水になり、色も消えた。まだ暗い水中に潜り、動きを止めて様子
を窺ったが、妖気は感じられなかった。しばらく川を泳ぎ周り、川原から上がるころには周囲はすっか
り明るくなっていた。
通りすがりの人が、川から上がってきた喜太郎に不思議そうな視線を向けて、何をしているのか川に
落ちたのか、と声を掛けた。喜太郎は着物と袴のままで川に飛び込んだのであった。野菜の入った籠を
小脇に抱えたその若い女は、喜太郎と一定の距離を保ったまま、大丈夫かと重ねて尋ねた。酒を飲んで
みようと思って飛び込んだと喜太郎が答えると、その女は顔をそらして歩き始めた。酔っ払いか頭の
おかしい者と思ったのである。喜太郎は敢えて近寄らないまま、自分は怪しい者ではなく、この辺りの
伝説で川に湧くと言われる酒を探しに来たことを早口で説明した。歩きを止めないその女と、距離を
取ったまま喜太郎は一緒に川沿いの道を歩き、そういう伝説を聞いたことがないかと尋ねた。そういえ
ば子供の頃に小学校でそういう話を同級生がしていたことがあった、その女は足を止めて小さな声で
そう語った。少し距離を縮めた喜太郎は化幻玄師のことは伏せて京都の寺から来たと名乗り、この辺り
の住人で伝説調査を手伝ってくれる人を探していると伝えた。自分にはわからないから付いて来ないで
欲しいと言い残して、その女は去って行った。
喜太郎は翌日も夜明け前から旭川の同じ場所で時間を待った。今度は着物を脱ぎ棄てて、ふんどし
姿で夜明け寸前の旭川に飛び込んだ。