16. 炎に飛び込む男
エクタは43人の異国兵士を海に沈めた。秘伝の炭、アオキを口に含み頭全体から青い光を発し
ながら海中を魚のように泳ぐエクタは、銛で船底を打ち抜いて船を4艘とも転覆させ、海中に投げ
出された兵士どもの足を掴んでは次々と海底に引き込んでいったのである。一人も見逃してはなら
ない、後への禍根を残してはいけない、と全員の息の根を止めることを決心していた。無表情な
エクタは炎の前で宮司・悠甲にそう語った。
エクタが命じた炭衆による異国兵士の捕獲では、地上で使ったがために11片のアオキが死んで
しまった。エクタはそうなることを承知の上で炭衆にアオキの使用を命じた。さもなければ、猛り
狂った異国兵士とまともに戦って、炭衆にも村人にも死傷者が避けられないと考えたからである。
アオキを口に含んだ炭衆の発する青い光によって、相手は戦う意思を奪われ従順になるのであっ
た。通常はこの力を漁で獲物にのみ用いるのが炭衆の絶対的な掟であるが、長の判断によってそれを他
の目的に用いることができた。異国兵士の狼藉を阻止するために、エクタはアオキを使う判断を炭衆に
下したのである。
エクタは失われたアオキを作るために、炭焼き小屋に入った。
小柄痩身なエクタに威圧感はなく、明るく気さくで、炭衆はもとより村の人々からも頼られる存在で
あった。ただし、炭焼きに山に入る時と海に潜る時は別人のごとく厳しい表情を見せた。
炭衆の中で炭焼きを行うのはエクタとその先代の長などの数人であった。炭焼きは和伯山(わほうさ
ん)の炭焼き小屋で行われ、通常炭焼きに取り掛かれば20日は山を降りることはなかった。アオキは
必要最低限を作ることになっていた。異国兵士との戦いまで十分な数のアオキがあったので、何年もの
間、エクタはアオキ作りをしなかった。アオキ作りとなれば、何日かかるか予測がつかなかった。
アオキ作りはエクタとその先代だけで行われ、その間、他の者は小屋にいることが許されなかった。
失われたアオキを作る目的で、その時はエクタと先代の二人だけが山に入っていた。
村が異国兵士に荒らされていた時、悠甲と円民は和伯山の一角にある不動滝で水ごりの修行を
していた。二人が下山する途中に、山を上がるエクタと先代を見掛けた。エクタのいつにない無表情に
疑問を持った悠甲は、何かあったかと尋ねた。エクタは口を開かなかったが、村で起きた異国兵士に
よる事件を先代が短く伝えた。そこでは、炭衆の活躍は語らず、その兵士どもをみんなで追い払って
事なきを得たと伝えた。慌てて下山を急いだ円民を追わず、悠甲はエクタに炭衆の力かと尋ねた。
エクタも先代も無言であった。その無言から悠甲は、炭衆の力、つまりアオキの力が使われたこと
を察した。それほどの相手である以上、ただ追い払うだけで終わっていないことを悠甲は悟った。
エクタと先代は無言のまま、炭焼き小屋に向かって歩き始めた。普段は決して炭衆の詮索をしない
悠甲も、エクタの極端な無表情を心配し、後を追った。
炭焼き小屋に入り、窯に薪を運びながら、エクタも先代も悠甲の入室を拒まなかった。エクタ
は窯の前に座り、火を点けた薪を見つめて、狼藉者とは言え43人の命を奪った顛末、それしかなか
ったという思いを窯に向かって語った。悠甲はエクタに一言残して炭焼き小屋を出た、それがお前の
役割だ、と。
エクタはひたすら薪を燃やした。アオキを作るには薪の炎を眺めて気を研ぎ澄ます必要があっ
たが、一晩を経てもエクタは気を集中できなかった。エクタは窯の前に座って炎を眺め、先代は薪を
運び続けた。11日目になり、エクタは気の集中を果たした。それが自分の役割だ、鬼にもなろう、
エクタはそう呟いて炎の窯に突入した。
エクタと先代が山に入って26日後の夕暮れ、2人は炭衆のところに戻った。先代は背負った
籠を降ろし、炭を取り出し、最後に布に包んだものをエクタに手渡した。エクタは布を開いて、光沢
のある親指ほどの大きさの炭を、4人の炭衆に一つずつ渡した。この入山では、エクタは四片のアオキ
を作るのが精一杯だった。エクタの全身は真っ赤に腫れ上がっていた。失われた11片には遠かった
が、これ以上は命に係わると見た先代は、エクタに下山を勧めたのであった。
エクタは新たにアオキを与えた4人の炭衆と共に漁に出た。異国兵士の去った方角には行かないよう
指示した後で、エクタは一斉に炭衆を海に放った。
エクタ自らは異国兵士を沈めた辺りに潜った。その辺りは炭衆も獲物を求めて潜ることのない
底なしの深場であり、漁をする場所ではなかった。死体が沈みきっていることを確信して浅場に
戻ろうとしたエクタの視界に、一筋の青白い光が入った。その色は、エクタが作ったアオキの物では
なかった。