15. 青い炭
鳥取県東伯郡湯梨浜町には日本海に面する美しい海岸が続く。この海岸では神代の昔から令和の現在
に至るまで漁が盛んであり、海や漁にまつわる伝説も多い。
湯梨浜町の楠郷神社(なんごうじんじゃ)に保存されている悠円才抄(ゆえんさいしょう)には、
当地に伝わる不思議な漁師の逸話が記述されている。これは、建長(1250年代)から永仁(12
90年代)に掛けてこの神社の宮司を務めた桂田悠甲(かつらだ ゆうこう)とその息子、桂田
円民(かつらだ えんみん)による日記が後年まとめられたものである。
悠円才抄にはある一族の話が載せられている。悠甲も円民もその一族のことを密かに書き記し、それ
を秘匿していた。書き記したことが知られれば無事では済まない、日記にはそう書かれている。日記
が見つかり悠円才抄としてまとめられ知られるようになったのは、200年以上も後のことである。
当時の由利浜村(現湯梨浜町)には素潜りで海産物を採ることを生業としている漁師がいた。その
漁師たちの中に、際限なく長時間潜っていられる秘法を持った一族がいた。その一族は炭衆(すみ
しゅう)と呼ばれていた。海で漁をする傍ら、山で炭焼きをしていたからである。四世代にわたり
十数人からなるこの炭衆は、漁において一片の炭を口に含んで海に潜っていた。その炭はアオキと呼ば
れていた。海の中でその炭は青い光を発し、口に含んだ者の顔は青く輝き海中を照らした。他の漁師達
は炭衆が炭を口に含んでいること、そしてその炭が単なる木炭ではないことは知っていたが、その青く
光る炭の出所については知らなかった。それが何なのか、それを詮索してはならないこと、その炭の
ことを余所者に口外してはならないことがこの村のしきたりとなっていたのである。他の漁師は浅瀬で
魚や貝や海苔を取り、炭衆は深場で多くの魚や貝などを獲り、お互いにそれらを分けあっていた。
炭衆の長にエクタという男がいた。長はアオキの製法を伝承し、一族全員を指揮してアオキを
含んで海に潜るタイミングを指示する役割を負っていた。
炭衆の漁は夜であった。深夜、エクタは数人の炭衆を率いて由利浜村の海岸に立つ。皆、銛(もり)
と獲物を入れる網とアオキを手にして漁に出る。各々が自分に与えられたアオキを握りしめ、エクタ
の指示を待つ。エクタが海を睨み、アオキを海にかざすとアオキは青く鈍い光を放つ。エクタの掛け声
を合図に皆アオキを口に含み、海に入っていく。しばらくして、網を魚で一杯にした炭衆が次々と水
から上がってくる。皆がそれを数回繰り返したところで、エクタの指示によって夜明け前に漁は終え
られる。
エクタは慎重だった。アオキの輝きが安定しない時には決して漁を始めさせなかった。炭衆を率い
て浜に立ちながら、しばらく経って漁を諦めることも珍しくなかった。
弘安四年(1281年)6月14日、浜にいたエクタと炭衆は夜陰に紛れて接近する4艘の船を
見た。船は暗闇の中で岩礁を恐れて接岸はせず、夜明けを待っている様子であった。エクタはこれらを
不審に思い、炭衆に見張りを命じた。
夜明けと共にこの四艘は浜に乗り上げ、その身を武具に包み青竜刀や鉾を持った明らかな兵士、それ
も異国の兵士と見える40人余りが上陸した。その連中は異国の言葉を発しながら武器を振りかざして
方々の家に押し入り、人を傷付け食料の略奪を始めた。
エクタは炭衆に命じた、この無頼漢を排除せよと。11人の炭衆が口にアオキを含み、異国兵士
と対峙した。炭衆に引き連れられた異国兵士は次々と浜に戻った。まるで大人しく無表情で虚空を眺め
ながら、つい先刻まで略奪を働いていた無頼漢とは思えない静かな素振りで、自分たちの船に乗り込ん
だ。炭衆の合図とともにその四艘は出発した。
異国兵士の船が出発した直後、エクタはアオキを口に含み一人で海に入った。海の中から四艘の船
を誘導し、浜から見えない沖合でそれらの船の底を銛で打ち抜き、船を転覆させ異国兵士の全てを
沈めた。
異国兵士と戦った11人の炭衆のアオキは死んでいた。アオキは陸で用いられるとその力を失って
しまうものであった。エクタはそれを承知で、炭衆にアオキの使用を命じた。
アオキ作りの方法を受け継いだエクタであっても、アオキを作るのは容易ではなく、確実にできる
保証はなかった。一度に作り得るアオキは五片。失った11片のアオキを再び持つのがいつになるか
エクタにもわからなかった。残ったアオキは自分の物と先代炭衆の長の物の二片であった。
だから、追い払った異国兵士が再び攻め寄せた場合、残ったアオキで立ち向かい排除できるかどう
か、エクタには確信がなかった。それ故に、エクタは異国兵士が二度と戻らないよう、息の根を止め
た。村人には単に追い払ったと見せかけ、遺体が浜には流れ着かない沖合で異国兵士全員を海底に
引き込んだ。言葉にはしなかったが、炭衆はそんなエクタの行動を察していた。
海から戻ったエクタは、再び賊が上陸しないよう祈るための鳥居を岩場に建てるよう炭衆に命じた。
それが、自身が海に沈めた異国兵士を供養するための物であることを、炭衆は皆察していた。
エクタは異国兵士を葬った翌朝、先代と共に炭焼き小屋へと出掛けて行った。新たなアオキを作る
ためにである。