13. 武者を睨みつける鱗

 巳句羅(みくら)は立ち上がって対岸の馬上にいる武将を見た。憎しみを込めてその武将の顔に
視線を止めた次の瞬間、武将は額から血を噴いて落馬した。気を失って砂浜に倒れ込んだ巳句羅を覆い
隠すように抱えた武者達は、足早にその川岸を去って森へと姿を隠した。

 940年に平将門(たいらのまさかど)は眉間に矢を受けて死んだ。950年前後に完成された
とされる武州新皇妙撰紀(ぶしゅうしんのうみょうぜんぎ)には、馬上にあった将門は対岸の敵軍から
飛来した矢によって討たれたと書かれている。しかし将門は矢で射られて絶命したのではない、突然
頭から血を流して落馬し、息絶えた。周囲の者が見た将門の眉間には、三角の穴が開いていた。その
直後に将門の亡骸は敵軍に取り上げられ、首実検に処された。

 三角の穴のことを伝え聞いた将門の側室・澄(すみ)は、将門は矢で射られたと禅僧・瑞信(ずい
しん)に伝え、後年の武州新皇妙撰紀への記述となったのである。しかし澄は知っていた。その三角の
傷は得物(武器)によってつけられたものではない、将門を憎む人の心によって空けられたものである
ことを。そしてその将門を憎む者の心当たりもついていた。巳句羅という尼である。

 巳句羅には娘がいた。僧門に入る前に生んだ娘である。娘の名は丹々(にに)と言った。丹々は、
常陸国筑波山西麓真壁郡の武将である平国香(たいらのくにか)と正室・毬(まり)との間に生まれ
た。丹々は美しく育ち、近隣諸国から正室にと求められる姫となった。丹々は山野に良く出かけ、村
の若者と遊んだ。そんな丹々には秘密の場所があった。鬼怒川の淀みの一角である。
 そこには銀色の鯉がいて、丹々はその鯉と話しができた。その鯉はこれから起こることをたびたび
丹々に話して聞かせた。竜巻や川の氾濫、戦や一揆、近しい者の死など、この銀色の鯉が言うことは
必ず訪れた。そんなある日、銀色の鯉は丹々に伝えた。近いうちにある武者とまみえるが、その者の
目を直視してはいけないと。丹々が理由を尋ねると、好ましからざる人物であると鯉は答えた。

 それから数日後、平家を数人の武士が訪れた。当主・国香は丁重に迎えていた。宴席となった時、
毬と丹々は挨拶に出た。その時、上座にいた武士の眼光を感じ、丹々は思わず顔を上げた。その武士は
平将門であった。将門は丹々の美しさと振る舞いの優雅さを褒めた。
 それ以来丹々は、将門のことが頭から離れなくなった。銀の鯉が語った好ましからざる人物とはこの
将門のことではない、丹々はそう自分に言い聞かせた。
程なく将門は正式に丹々との婚儀を国香に申し入れ、婚約は直ぐに整った。

 将門家に嫁ぐ日も近いある日、丹々は鬼怒川の銀の鯉に会いに行った。鯉は言った、将門は国香
を討つと。丹々はそれを信じなかった。将門が自分を妻に迎えながら、その父を討って国を取るなど
あり得ないと。それからは、丹々は鬼怒川を訪ねなくなった。
 丹々は将門に嫁入りし、平穏な日々を過ごした。しかし嫁入りから2年余り経った夏、将門は東国
武士団の棟梁と担がれ、新皇(しんのう)を名乗り、京の朝廷との決別を宣言した。

 逆賊・平将門を討て、宣旨による討伐指令が平国香に下された。丹々は反逆を止め、父・国香に
降伏するよう将門に頼んだ。一方忍びで父・国香の元を訪れ、降伏すれば反乱者の命を保証するよう
頼んだ。しかし両者とも退く気を示さなかった。絶望した丹々は自害して果てた。

 毬は将門を憎んだ。将門は反乱者であり、正義は宣旨を持つ国香にある、そう信じて疑わな
かった。自害する前の丹々から聞いていた銀色の鯉に会いに、毬は鬼怒川へ出かけた。
 鯉は毬に語った、国香は将門に討たれる、そして将門はあなたに討たれると。自分の鱗を通し
て将門を見よ、そうすれば将門の死が見えると。

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