10. 命と意思を持った水を探す者1

 暗水。命と意思を持った水。暗水が地を這うとき大蛇と恐れられ、空に昇るとき龍と呼ばれ
麒麟と称えられ、海を渡るとき人魚とも愛でられた。暗水は、それを見る者の心を写した姿に見え
たのである。

 暗水を飲んだ者は異常な力を得る。仏僧、修験者、祈祷師、忍び、侍など自身に特殊な力を
得るために修行を常とする者の間では言い伝わっていたが、実際の体現者を知る者はほとんどいな
かった。それは、暗水によって特殊な力を得た者は、それをひた隠しにして人にその旨を伝えない
からである。得体の知れない暗水の力、それでもその力を求めて暗水を探す者、あるいは暗水探しを
請け負う者もいた。この請負人の多くが、前金を受け取って姿をくらます詐欺師であることも広く
知られたことだった。しかし、知る人ぞ知る、暗水探しの秘伝を持つ者がいた。その者は、一子相伝
によって古来より暗水探しの技を受け継いできた。

 暗水探しの秘伝には五つの系統がある、その秘伝は系統ごとに隔絶して伝えられ、お互いに技
を明かさない掟であった。暗水を探す秘伝の一系統、紫法印(しぼういん)を継承する者は代々
雅丈斉(がじょうさい)を名乗った。

 明治5年、岡山県苫田郡鏡野町にある蛇谷の滝(じゃこくのたき)において逆流する滝の水を
掴み、その水に連れ去られた雅丈斉は綾丸(あやまる)、まだ紫法印を継承せず雅丈斉を名乗ること
を許されていない修行中の身であった。元来暗水探しの秘伝を継承する者、それを志す者は全て、
その公言を禁じられていた。綾丸は暗水探しを語ることができず、自身の身分を化幻玄師と偽り
ながら、名前は雅丈斉と名乗ったのであった。

 逆流する瀧の水と共に姿を消した綾丸は、およそ1日を経て蛇谷の滝からはるかに離れた岩山
の上にいる自分に気付いた。逆流する瀧の水を掴んだ左手は、赤黒く変色して動かなかったが、僅かに
感覚はあった。紫法印を会得する修行において学びつつある念を左手に込めて、逆流する瀧の水、
一見大蛇に見えたその水の尾を掴んだが、まだ未熟なその念では暗水を御するには至らなかったので
ある。中途半端な念で暗水の力と交わることは、師に諌められていた綾丸であったが、逆流する水を
見て興奮した綾丸はとっさに左手にその念を込めて掴みかかったのであった。未熟な念で暗水に触れれ
ば体が壊死しかねないと師に言われていた。自身の左手を見た綾丸は、手の壊死を予見して怯え、岩の
上から動けなかった。

 その綾丸の背後に、一つの長身が音もなく舞い降りた。左手が朽ちる、その絶望感によって座り
込み微動だにしない綾丸の前に廻り、その長身は片膝をついた。綾丸はその者に邪気も恐怖も感じな
かった。その者は綾丸の左手を掴んで無表情に眺めたかと思うと、綾丸を担いで立ち上がり、その岩山
を飛び降りた。その者は綾丸と共に岩から岩へと飛び移りながら、岩山を下った。空中でその者は自ら
を化幻玄師・鬼灯(ほおずき)と名乗った。その声を聞いた綾丸は、それが女であることに気付いた。
綾丸を担いだ鬼灯は湖に飛び込んだ。

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