9.下から上へ流れる滝
岡山県苫田郡鏡野町、木路川の上流にある蛇谷の滝(じゃこくのたき)は、かつて岡山藩によって
近寄ることが禁じられていた。この滝には不思議な現象が起こり、その水には不思議な作用があると
伝わることから、藩はその利用を禁止するために、藩主の命令としてその滝を隔絶していたのである。
明治4年7月に廃藩置県によって岡山藩の取り締まりが無効となるまで、その隔絶は守られていた。
この滝の水は日の出の一瞬、下から上に向かって流れた。その時の様子が、まるで大蛇が滝を遡上
するがごとくであることから蛇谷の滝と呼ばれている、それが通説である。普通に流れているその水は
単なる清澄な水だが、逆流しているときの水こそが特別な性質を持っていた。
この世には二種類の水がある。明水と暗水である。地に湧き、川を流れ海にそそぎ、あるいは気化
して水蒸気となり、雲となり雨になって地に還流する。これは物質として循環し、生命の居所を造って
いる水、明水である。一方で、意思を持って行動する水、命を持った水がある。これが暗水である。
暗水は、時に明水と溶け合って流れ、時に霧と化して空を漂い、時に塊となって地を走る。地表から
天空に駆け昇る暗水を見た人々は、龍と呼び、麒麟と称えた。
蛇谷の滝が逆流する、いつ始まったかわからない言い伝えは岡山藩、改め岡山県では知れ渡っては
いたが、その理由を詳しく知る者は巷にはいなかった。藩の命令で近づけないのが常識となってから
は、その理由を気にする者はいなかったからである。 蛇谷の滝が逆流する、県外からこの言い伝えを
聞きつけて興味を持ち、これを見に来た者がいた。明治5年のことである。その者は自らを化幻玄師
(けげげんし)と称し、雅丈斉(がじょうさい)と名乗った。長髪のためにその顔をはっきりと見た
者は少ないが、物腰と声から、若い女だった、と近くの寺の住職はその日記に書き残している。
雅丈斉は何夜にも渡ってこの蛇谷の滝のほとりに陣取り、その逆流を見ようと日の出の一瞬を待っ
た。その全てに付き添ったのが、日記に雅丈斉のことを書き記した仏僧、允俊(いんしゅん)である。
允俊が住職を務める浄土真宗本願寺派光明寺は岡山県苫田郡鏡野村(現在の鏡野町)に古くから営ま
れた古刹であったが、廃仏毀釈運動によって明治6年に焼打ちに合い、その寺院は全壊した。寺本殿の
焼失直前に允俊が仏典と共にその日記を持ち出し、昭和に入って再建された同名の寺院に伝わり保管
されている。蛇谷の滝のほとりに泊まり込むこと33日目にして、雅丈斉と允俊は滝を遡る竜の如き
流れを目にした。その激しい姿に圧倒され立ち尽くす允俊を横目に、雅丈斉はその竜の尾を掴んだ。
そのまま雅丈斉は、水の竜と共に滝を逆上し姿を消した、允俊の日記にはそう書かれている。そして
允俊はこう締めくくっている。蛇谷の滝を逆流した竜の如き流れは、暗水であったと。
雅丈斉が尾を掴み引き込まれた暗水。かつてこの滝において暗水を掴みだし、飲み込んだ者がいた。
その者も仏僧であった。その後その仏僧は奇怪な力を発揮し、多くの奇跡を起こし、大勢の病を治し
た。時の天皇、孝謙天皇の命を救ってからは、宮中に出入りするようになり、ついには皇位の簒奪を
目論んだと言われている。岡山藩が蛇谷の滝を封印し続けたのは、伝説となったその奇怪な力の発生を
恐れたからである。
暗水を飲み込んだ仏僧、それは弓削氏(ゆげし)の出身で、道鏡といった。天平感宝年間(西暦
750年代)、すなわち奈良時代のことである。