6.妖花は人を幸せにする

 花の核に赤い石を付ける桜、石桜。正確な所在は定かではない。その赤い石が高価な宝石、ルビーで
あると流布された明治末期に大勢の人が石桜を探し周ったことがあった。そのうちの数人がおかしな死
を遂げてからは、その探索は禁忌と考えられるようになった。この死んだ人達はみな、この上なく幸福
になったのである。正確に言えば、極めて高い幸福感に浸りきり、まるでありとあらゆる欲が消えうせ
たように何もしなくなった。座ったまま飲食もしなくなった。ただ笑顔で宙を見てただひたすら石桜の
美しさを称える話ばかりを続けた。そしてついには衰弱し切って、満面の笑みを湛えたままで死に至っ
た。その光景を知る者は皆、石桜の祟り、赤い石の呪い、石を取ったばちが当たったなどと恐れ、石桜
を探してはいけないと周囲の人を諭したのである。

 ルビーともてはやされたのは明治の終わりだったが、石桜を探してはいけない、これは江戸時代
初期から岡山藩においては言い伝えとなっていた。時代を経て次第に忘れ去られていったのであった
が、明治末期にルビー騒ぎで再燃を見たのであった。

 江戸時代初期には、岡山藩の人々に石桜を恐れさせた事件があった。当時はその赤い石が高価な
宝石と考えられたわけではなく、純粋にその花と石の美しさが語られながら、それを語る者が微笑み
ながら死んでいく姿を見て、人々は石桜を探すべからずと伝えていたのである。ところが、多くの人々
が石桜を恐れるのとは対象的に、石桜は不思議な力を持つと、見た者を微笑みと共に死に至らしめる
力を持つと理解する者が岡山藩士の中にいた。

 この妖しい桜は、少なくともソメイヨシノではない。ソメイヨシノとは、オオシマザクラの雑種と
エドヒガン系の桜との交配によって江戸時代末期に生み出された日本固有の桜である。こうして生み
出された雑種は種を付けない。そのために、挿し木によってのみ増やすことができる。種が飛散して
自然に増えていくことはないので、海外にあるソメイヨシノは、日本から持ち出されたものである。
有名な例では、アメリカ合衆国ワシントンDCのポトマック公園周辺にある数百本のソメイヨシノは、
1912年に日本政府が寄贈したものである。

 不思議な力、妖しい力、あるいは跳びぬけた力があると、それを利用して我欲を満たそうと
する者が出てくるのが人の世の常である。江戸時代初期の岡山藩に、石桜の噂を聞いてその不思議な
力を自身の敵を滅ぼすために使おうと考えた者がいた。小野沢完武(おのざわ かんむ)、豊臣家
五大老の一人・宇喜多秀家(うきた ひでいえ)の鉄砲方頭(てっぽうがたかしら)を務め、秀家の
没落と共に岡山藩を去った武士である。

 小野沢完武は主君・宇喜多秀家の排斥を企む岡山藩国家老・堀之内幸嗣(ほりのうち ゆきつぐ)を
暗殺するべく、石桜を使おうとした。つまり、相手に石桜を見せて、死に至らしめようと考えた。その
ために、完武はある者を呼び寄せ、石桜を探させたのである。その者は、妖怪であったと言われている。

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